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[日記](読書) 闇という名の娘(ラグナル・ヨナソン) [日記]


続いてというよりも、「白が・・・」を読みながらエアポケット的な時間を
利用してもう1冊、北欧(アイスランド)ミステリ、「闇という名の娘」を同時読み
したのでその感想と記録。

アイスランドのミステリといえば、「湿地」「声」で有名な
アーナルデュル・インドリダソンのエーレンデュル捜査官ものが有名で
重い雰囲気は否めないが面白いシリーズ。

そしてこの作品もアイスランド、レイキャビクを舞台にした刑事もので
初老の、退職直前の女性警部・フルダのシリーズ第1作目。

ミステリものを探す場合、各国賞の受賞作やノミネート作品を探して
その第1作目から読んでいく(当たり前ですけど)。そうすると
シリーズものであるという安心感(面白いハズ、当面シリーズを楽しめる)を
味わえる。

この作品も、警部フルダのシリーズものということで読んだけど
サクサク読んで、読み終わった直後の感想は「なんだこれ!!!???」。

こんな小説、私は読んだことがない(というか記憶がない)。
凄い面白いというか、このシリーズ、この後どうなっていくのだろうか、
驚きというか、心配というか、フルダに道場するというか・・・。

原題(英題)は「The Darkness」、闇である。
フルダは既婚者で娘がいた、その名前がまさに「闇(ディンマ)」。
なので、このタイトルは、そのディンマを指していると思われる。

フルダは、退職前にひき逃げ事件を担当し、その容疑者の女性の尋問を
担当する。その女性は、息子が性被害にあい、その犯人がまさに
ひき逃げ事件の「被害者」。女性は、自身の息子への愛、
変質者への憎しみから、ひき逃げ事件を起こしてしまうが、
フルダはその容疑者同情し、証拠不十分として「事故」にしようとする。

アイスランドのキャリア事情も女性に対して厳しいようで
フルダも挙げた成果のわりに高キャリアは望めなかったようで
さらにあと数か月の勤務を待たず、上司から事実上の「早期退職」を進言される。

それに抵抗するかわりに「あと一つ」事件を担当してよいとのことで
上司に促されるまま、時間つぶしの「未解決事件」を担当することになり
1年前に行方不明になって事故或いは自殺として扱われている事件、
ロシア人の難民認定申請の女性の事件を最後案件として選び、捜査を開始する。

この事件は複雑というよりも、同僚刑事の怠慢によりろくな捜査もせず
「事故」「自殺」とされていることで、複雑な捜査ではなく
幾人かの関係者への聞き取り、証拠の確認で、真相がわかる。

小説の構成で、失踪女性の記録も同時進行するので
どうやって失踪、死につながったかは読者には割と簡単にわかるし、
登場人物も限られているので、だいたいの予想はつく。

ただタイトルの「闇という名の娘」、つまりフルダの娘と物語の関係が
全然見えてこないまま、サクサクと物語は進んでいく。

ひき逃げ事件の容疑者を証拠不十分として取り扱う予定が
恩を仇で返す容疑者=母親の自白により、追い込まれるフルダ。

・・・で、衝撃のラスト。

ラストも衝撃だけど、主人公のフルダが魅力的で好きな作品。

女性刑事というのものいいし、有能だけど退職前、初老で、美人でもなく
科学捜査や、FBIだったり、何か特色があったりするわけでもなく、
夫、娘と死別、フルダの幼少期の母親、祖父母との微妙な関係性から
フルダ自身の思慮深い?性格が非常に良かった。

凄いな、このシリーズ。
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[日記](読書) 白が5なら黒は3(ジョン・ヴァーチャー) [日記]


途中、ケン・リュウの短編小説集の1章をよみ、その後挫折。
続いて読んだのが本作品、「白が5なら黒は3」。

米国フィラデルフィア在住の作家、本作品がデビュー作。エドガー賞などの
新人賞にノミネートされたとのこと。

原題は「Three-Fifths」、米国憲法でかつて制定されていた黒人奴隷制度を
ある意味象徴する法律(5分の3しか権利を認めない)に由来している。

物語の舞台はピッツバーグ。時代は日本でもメディアで報道された
OJシンプソン事件がおこった1995年。その事件の判決が注目されていたころ。

ここまでの内容から、この作品が人種差別、とくにアフリカ系アメリカ人に
対する差別を扱った小説と言う事が分かるし、そもそも読んだ理由のひとつが
それだった。

日本では考えられないような日常である。
もちろん、似たような状況はあるのだろうけど、少なくとも私の日常ではない。

色素異常(と思われる)から白人と思っている若い息子(20代)
白人のシングルマザー
母と息子で家賃を払うためにパートタイムに明け暮れる
母はアルコール依存症(断酒を息子に誓うが、今日も飲んでいる)
父は黒人であることを母からかつて知らされ、
母親とは出産直後に分かれ(母を捨てる)その後死んだと聞かされている
友人(富裕層)は麻薬密売などの犯罪経歴があり3年の刑務所から出所
祖父は白人主義者(というか、当時のマジョリティ的な考えだと思う)

その友人=アーロンは出所後、息子=ボビーに会いに来るが
様子が激変し、黒人文化を愛していた幼少期から真逆のレイシストに変貌。
細身だった体はサプリメント&筋トレで筋肉隆々。
レイシストの象徴のタトゥの散りばめられている。
そして懸念のとおり出所直後にアフリカ系の少年に暴行、殺害してしまう。

ボビーは友人の変貌、暴行、そして何より
自らの出自から恐怖のあまり、その事件から逃げ出してしまう。

アーロンはしきりに、暴行はボビーのためだし
そもそも、大切な友人であるボビーに手を出したりしないという。

ボビーは自らの出自がバレることをひたすら恐れる。
そんな中、偶然、母親が父親とであい、ボビーに真実を打ち明けるが。
追い詰められたアーロンはボビーも巻き込んでしまう・・

この話はストーリーよりも、差別、LGBT、刑務所、思想、法律
そしてアメリカの歴史・文化がぎゅっと恐縮されていることが
全てなんだろうと思う。果たしてこれがアメリカの真実を
どの程度語っているのか分からないし、判断でもできない。

でも、毎回思うのは、こういう重いテーマの作品が
堂々とエンタメ作品としてリリースされ、
そしてエドガー賞という著名な賞にノミネートされることが、
アメリカという国に良心があると言う事なんだと思う。

米国作品を読むとつくづく人種問題、宗教問題が
単純でないことを理解する。
「分かち合う」ことよりも「お互いに干渉しない」方が
個人的には良い気がするのだが・・・。


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